Taiki It Easy

~Taiki Namiki's Blog~

【メモ】未来の人材市場に関する予測

ある会社ではダメダメだった人が他の会社にいったらめちゃ活躍する、なんてことはよくある。

 

弱いチームでいまいちだったプレーヤーが、才能を見出されて強いチームで活躍する、なんてこともある。 普通は、弱いチームで活躍できない人は強いチームで活躍できるはずなんてないだろう、と思われるはずだが。

 

 

人には相性がある、ということだ。

一緒に働く人によって、とある人のパフォーマンスは大きく変わってくる。

 

これを考えると、未来の人材市場は、個人ベースじゃなくてチームベースで動くかもしれないと思う。

 

たとえば、「僕は、AくんとBさんと3人でチームを組んでる時にもっともパフォーマンスが発揮できるので、3人1組で採用してください」とか「僕はCさんとコンビを組んだ時に最強のコラボができるから、二人でまとめて移籍金5億円でいくらでしょう?」

 

みたいなかんじ。

 

メンタルが強い、とはどういうことか?

メンタルが強い、とは、普通はいくら打たれてもへこたれない、石のように硬い石を持った人のことをいうと思う。

 

でも、これは、機会で代替できる。機会はいくら怒られても、その感情的な部分は読み取らずに、そこに含まれる理論的な意味だけを抽出して学習できると思う。

 

怒っている人間が投入してくる教師データも、優しい人間が投入してくる教師データも、同じデータだ。

 

 

 

機会に代替できない人間になりなさい、というなら、それは石のように硬い強さではなく、水のように柔らかい強さかもしれないと思う。

 

 

鈍感を目指すのではなく、敏感を極めることによって強くなるのだ。

【メモ】早い意思決定、遅い意思決定の経営への影響

「三人寄れば文殊の知恵」、ということで、様々な人が活発に意見を出し合って総意で意思決定をすることの重要性はよく叫ばれる。

 

例えば、キューバ危機の時にケネディ大統領が自分は席を外して(自分がいるとどうしても部下が自分の顔色を伺ってしまうから)部下に活発に議論をさせ、その総意で意思決定をし、核戦争を免れた例とかは、よく、オープンディスカッションの重要性を強調する上で用いられると思う。

 

また、最近は、多様な人材を社内に配置し、多様な意見を商品に反映させることで業績もうわむく、というようなダイバーシティ経営の重要さも叫ばれる。

 

 

 

けど、一方で、実際に伸びている企業は強いリーダー、言い換えると、独裁的でワンマンなリーダーが多いことも多々あるように思う。

 

アップル、ソフトバンクユニクロ楽天、などなど。

これらの会社では、多様性を尊重したオープンディスカッションを経て、総意で意思決定がなされているのだろうか?あんまりそういう話は聞かない。

 

どちらをサポートする理論も作り出すことは可能だ。どちらにもプロコンがあるから。前者には、様々な意見を取り入れて網羅的な意思決定ができるといういい点があるが、意思決定が遅くなりがち、という悪い点がある。

 

後者には、意思決定者のバイアスがかかってしまうが、迅速な意思決定が可能、という利点がある。

 

 

理論の正確性は、過去を説明できるか、ではなくて、将来を予測できるか、だと思うので、そういう研究ってあるんだろうか?

 

 

 

 

 

生きるということは人に迷惑をかけることである

「人に迷惑をかけないようにしなさい」とはよく言うけど、人に迷惑をかけないように生きたいなら、極論、部屋の中で一生マスタベーションをしていればいいと思う。

 

社会に出て、人と関わり、何かをする、ということは、必然的に人に迷惑をかけるということだと思う。

 

人は千差万別なので、自分の生き方のスタイルや、物事の進め方が気にくわない人は必ずいるからだ。 そういうもんだし、それでいい、というか、それがいい。

 

それが、多様性に溢れる世界というものだと思う。

 

少なくとも僕は、みんながみんな、他人に迷惑をかけないように身を潜めて生きている世界より、みんながお互い迷惑かけあって、「じぶんも他人に迷惑かけるから、他人から迷惑かけられても寛容でいようぜ、ガハハ」と笑っている世界の方が楽しいと思う。

 

 

色々な経験をすることが学習として効率的である脳科学的な理由について

「若い頃は色々な経験をしなさい」とよく言いますがそれはなぜでしょう?

一つにはその方が学習効率が高まるからだと考えられます。

 

脳科学者の中野信子は、知識を定着させるには「エピソード記憶」が大事だと言っており、「エピソード記憶」とは、何のことはない、自分の経験に結びついた記憶のことです。

 

大学の財務分析の授業では全然財務分析について理解が深まらなかったものの、自分の資金をつかって投資を始める様になったらその会社のことを分析する必要が出てきて財務分析が自然とできるようになった、

とか

モテない人がナンパで成功するために必死で恋愛心理学を勉強して心理学に精通した、

 

みたいな感じでしょうか。

 

 

エピソード記憶をたくさん蓄えるために、様々な経験をすることが大事であると言えそうです。

 

ただし、本当に頭のいい人や想像力の高い人は、実際に経験しなくても擬似的に物事を「自分ごと」にして、エピソード記憶を蓄積できそうです。

 

日本文化論である「菊と刀」を書いた人類学者のルース=ベネディクトは、「菊と刀」を書き上げた時までに一度も日本を訪れたことがなかったらしい。 それなのに日本文化について極めて鋭い洞察を書くあたりが天才なんでしょう。

 

僕は天才じゃないのでまだまだ色々な経験をする必要がありそうです。

【メモ】メタ認知に関する知識論的考察

メタ認知」とは、心理学で、「自分のことを客観的に把握できていること」という意味で、自分の社会や世界に置ける立ち位置を把握し、自分の生存戦略を定める上で大事ということになっている。

 

例えば、受験勉強では「自分は何が得意で何が苦手なのかを把握することが大事」と言われたりする。それが把握できれば、どこを伸ばしてどこを補えば志望校の合格ラインに届くかがわかるから、勉強の計画が立てられる、ということだ。

 

さて、受験勉強の例はこれでいいかもしれないが、どうやったら「自分のことを客観的に把握」できるんだろう?

 

これは、「客観的認識というのは可能なのか?」という哲学の知識論の分野の話になってくると思う。

 

これに対する現時点での僕の答えは「不可能である」だ。

 

 

例えば、「僕は協調性がないからサラリーマンは向いていない、起業家が向いているだろう」という「メタ認知」を持っていたとする。

 

そして実際に起業してみたら失敗したとする。

そこで「自分は協調性もないし持続力もないからサラリーマンも起業家も向いてない。でも女の子もお酒も好きだからホストになろう」と思ってホストになったら成功したとする。

 

そうすると、「やっぱり俺は自分のことをきちんとわかっていたから成功したんだ」「自分のことをわかること=メタ認知は大事だ」となる。

 

 

これは正しいだろうか?

 

僕は正しいとは思わない。なぜなら、たまたまホストで成功したから、それを説明可能にする自分の特性(協調性がなくて持続力がなくて女の子が好きでお酒が好き、という特徴)を並び立てて成功した要因としているだけの可能性もあるからだ。

 

メタ認知が大事なのはわかるけど、どうやったらメタ認知はできるのだろう?

【Life】Doing what's good and what's fun

I make decisions of my life mainly based on two principles: doing what's good and doing what's fun.

 

I will think about this issue today and summarize my thoughs around these two elements.

 

 

1. Doing what's fun

Firstly, doing what's fun is not difficult if you know what brings about excitement and passion to you. 

 

Here, it is important to know yourself. Not many people know what really brings about passion to you, and maybe, neither do I.

 

But I more or less know what makes me happy and passionate from my past experience. For me, satisfying my curiousity and knowing what's unknown for me are the best things that make me happy and passionate. 

Therefore, I love traveling, talking to strangers, reading books and doing challenging work.

 

Also, you have to be brave enough to pursue what you really love. Why? Because pursuing what you really enjoy sometimes goes against the social norm. 

 

In conclusion, if you know yourself well and if you are brave enough to pursue what you truly love, you can do what's fun. 

 

 

2. Doing what's good.

 

This is the difficult part because "good" is a subjective and relative concept. There is no overall consensus as for what is good and justice, as Michael Sandel argues in Justice. 

 

There is only what's good FOR ME. 

You need a philosophical inquiry to achieve this goal.