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~Taiki Namiki's Blog~

【メモ】メタ認知に関する知識論的考察

メタ認知」とは、心理学で、「自分のことを客観的に把握できていること」という意味で、自分の社会や世界に置ける立ち位置を把握し、自分の生存戦略を定める上で大事ということになっている。

 

例えば、受験勉強では「自分は何が得意で何が苦手なのかを把握することが大事」と言われたりする。それが把握できれば、どこを伸ばしてどこを補えば志望校の合格ラインに届くかがわかるから、勉強の計画が立てられる、ということだ。

 

さて、受験勉強の例はこれでいいかもしれないが、どうやったら「自分のことを客観的に把握」できるんだろう?

 

これは、「客観的認識というのは可能なのか?」という哲学の知識論の分野の話になってくると思う。

 

これに対する現時点での僕の答えは「不可能である」だ。

 

 

例えば、「僕は協調性がないからサラリーマンは向いていない、起業家が向いているだろう」という「メタ認知」を持っていたとする。

 

そして実際に起業してみたら失敗したとする。

そこで「自分は協調性もないし持続力もないからサラリーマンも起業家も向いてない。でも女の子もお酒も好きだからホストになろう」と思ってホストになったら成功したとする。

 

そうすると、「やっぱり俺は自分のことをきちんとわかっていたから成功したんだ」「自分のことをわかること=メタ認知は大事だ」となる。

 

 

これは正しいだろうか?

 

僕は正しいとは思わない。なぜなら、たまたまホストで成功したから、それを説明可能にする自分の特性(協調性がなくて持続力がなくて女の子が好きでお酒が好き、という特徴)を並び立てて成功した要因としているだけの可能性もあるからだ。

 

メタ認知が大事なのはわかるけど、どうやったらメタ認知はできるのだろう?